【銚子市立総合病院問題】資料:大内恭平『河童奮戦記』(2003.07.11)より
銚子市立病院が銚子市立総合病院として生まれ変わったのは1984年のこと。老朽化していた市立病院を再生したのは、「銚子市立総合病院建設」を公約として市長を二期務めた大内恭平氏だった。 氏の足跡を記した『河童奮戦記』から、病院について記述されている部分を引用する。【同書p244 l1-8】 私の出馬に当たっての唯一最大の公約は、『銚子市立総合病院の建設』でした。当時の市立病院は、内科・外科・精神神経科・結核病...
- 2008.08.31
- [銚子市立総合病院問題]
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