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波崎事件 ― 『司法殺人―「波崎事件」と冤罪を生む構造』

銚子で根気よく「波崎事件」について調べ続けている根本行雄さんが、今月上旬、これまでの学習・調査成果を一書にまとめた。書名は『司法殺人―「波崎事件」と冤罪を生む構造』
 根本さんから案内が届いたので転載します。

 5月からいよいよ裁判員制度がスタートしますが、僕らはその重責を担えるのでしょうか?





関係者各位
                    2009年 2月 20日
                          根本行雄
拝啓 春寒の候、いかがお過ごしでしょうか。
 2月上旬に、長年、「陪審裁判を考える会」に参加し学んできたところを、『司法殺人』という形で上梓することができましたので、ご案内させていただきます。
 銚子市公正図書館と千葉県東部図書館には寄贈をしてあります。もし、お時間がありましたら、お手にしてみてください。残念ながら、発行部数が少ないですので、全国の大型書店以外では店頭にての販売はありません。
 『司法殺人』は、一般書店やアマゾンなどのインターネットにて、ご注文いただければ、もちろん、購入できます。

 本書は、波崎事件を中心的に取り上げながら、これまでの、日本の主な冤罪事件を適宜、例証としてあげながら、警察、検察、報道機関、裁判所の4者のつくる「冤罪を生む構造」とそのメカニズムを明らかにしています。
 私たち一般市民にとっては、警察に被疑者として逮捕され、取り調べを受けることも、そして、被告人となって裁判を受けることも、きっと生まれて始めての体験です。そういう体験をする読者を想定し、高校生以上ということで、日本の司法制度についてわかりやすい説明を心がけました。
 本年5月に「裁判員制」の実施の日を迎えようとしています。しかし、冤罪を生む構造とそのメカニズムを抜本的に改善することは、ほとんどされていません。そのうえ、この新しい制度は、死刑という重い刑罰を課すかどうかの量刑判断までも市民に義務付けるものです。それは私たち一般市民にとっては、不当に重い責務であると言わずにはいられません。
 裁判員制は多くの問題点と改善すべき点を含んでいます。この制度について議論する時、この本はきっと参考にしていただける内容になっていると思います。
 また、本書は死刑廃止の主張もわかりやすく述べております。

 この本を多くの方々に読んでいただきたいと思っております。よろしくご協力をお願いいたします。
 時節柄、御身大切にお過ごしください。
                                  敬具


『司法殺人一「波崎事件」と冤罪を生む構造』影書房
四六判上製240頁 定価2,000円+税
ISBN978-4-87714-388-6★高校生から

裁判員制度によって「冤罪」がより身近に
               (影書房・編集担当 松浦弘幸)

 「波崎(はさき)事件」をご存知でしょうか? 1963年に茨城県で起きたこの「毒殺事件」は、日本の裁判史に「特筆大書」されるべきものだと著者・根本行雄氏は書きます。それは「自白もなく、物証もなく、目撃証人もいないけれども、『証拠は十分』であり、お前が犯人だと認定し、しかも、死刑の判決を下」すという特異なケースだからですが、「冤罪」という観点から見ると、他の冤罪事件が生み出されたメカニズムと多くの点を共有しています。
 本書は、「波崎事件」を中心に、過去の数々の冤罪事件を取り上げながら、なぜ警察・検察・司法が冤罪を生み出すのか、その構造的な問題点を具体的に列挙していきます。例えば、警察による見込み捜査・別件逮捕、証拠物の捏造や証人の買収、代用監獄における取調べでの拷問、検察による不都合な証拠・証人隠し、警察・検察と癒着しやすく、両者の人権侵害に対しても鈍感な司法……等々。これらは決して戦前の話ではなく、戦後の実際の冤罪事件から検証されたことで、そして、いま現在でも行われていることです。
 また、警察発表を鵜呑みにし、そのまま垂れ流す報道機関についても、「冤罪を生む構造」の一角を占める重要な問題のひとつとして検証しています。
 さらに本書では、間もなく始まる予定の裁判員制についても取り上げています。裁判員制については既に多くの問題点が指摘されていますが、上記のような「冤罪を生む構造」が手つかずで残されていることも大問題です。何故ならこのままでは、裁判員となる市民が公正な判決を下すことは極めて困難だからです。「素人」同然の裁判員が、「その道のプロ」である警察官・検察官・裁判官が描く筋書き通りに、判決を誘導されてしまう危惧もあります。
 また、裁判員制と欧米における陪審制との違いについても、歴史的経過にふれながら解説されていますが、陪審制が「単なる裁判の制度」ではなく「近代憲法の基本思想である民主主義、人民主権と深く、強く結びついている」ことにも触れられており、「上から」の司法改革である日本の裁判員制との本質的な違いを、はっきりと読み取ることが出来ます。
 裁判員制度の導入によって、誰もが冤罪の被害者にも加害者にもなりうる一背筋の寒くなる話ですが、身近に迫った問題をつぶさに知ることのできる説得力ある一冊です。
 1976年に最高裁で有罪が確定し「死刑囚」とされた「波崎事件」の被告・冨山常喜(とみやまつねき)さんは、40年にわたり獄中から無罪を叫び続けました。二次にわたる再審の申し立てもなされましたが、いずれも棄却。2003年に病魔との闘いの末、十分な医療も受けられないまま東京拘置所で無念の獄死をとげられました。享年86。現在、「死後再審」開始のための準備がすすめられています。

波崎事件
 はさきじけん
冤罪波崎事件

証拠がない、
 動機はない、
  自白もない、
    ……それでも死刑。

四十年間、無実を叫び続けた冨山常喜死刑囚。
二〇〇三年九月、無念の獄中死―。
その「波崎事件」とは…。

Justice delayed is justice denied.
(正義を遅らせることは、正義を認めないということだ。)

★[事件の概要]波崎(はさき)事件とは……
 波崎事件とは、茨城県神栖市波崎で起きた「毒殺」事件です。一九六三年(昭和三十八年)八月二十六日の深夜、石橋康雄さんが病院にて急死しました。それが、この事件の発端です。
 救急で入院した時に、救命処置を担当した二名の医師は病死であると判断をしました。しかし、石橋さんの妻が毒殺を主張したため、病院職員が、当時、たまたま入院していた警察官に連絡をとりました。すると、彼はただちに所轄に連絡しました。同日午後、司法解剖が行われましたが、
変死の徴候は確認されませんでした。
 しかし、警察は、当初より、被害者の妻の証言のみを鵜呑みにして、毒殺事件であるという予断と偏見にもとづいて、事情聴取や家宅捜索などに着手しました。そして、県警鑑識課より、青酸化合物が検出されたという報告を受けると、本格的な捜査を開始しました。そして、警察は冨山常喜さん(当時四十六歳)を十月二十三日、私文書偽造の別件で逮捕、その後、十一月九日に保険金目的の毒殺容疑で再逮捕しました。
 冨山さんは取り調べ段階から一貫して事件とのかかわりを否定し、無実を主張しました。しかし、物証がない、目撃証人もいない、動機もない、自白もない、にもかかわらず、一審で死刑判決を受けました。
 それから四十年、冨山さんは獄中から無実を訴え続けました。
 しかし、第二次再審請求中の二〇〇三年九月三日、東京拘置所にて亡くなられました。これは「司法によ
る殺人」であると言えます。

《冤罪「波崎事件」の無実ポイント》
●無実・ポイント①
《なぞの退室時刻》
 警察は鑑定結果から、石橋さんの死因を青酸化合物による毒物死としています。石橋さんが冨山さん宅を退室する直前に毒入りカプセルを手渡し、車を運転中に毒の影響で交通事故死させることを計画したというのが警察のストーリーです。青酸化合物の特徴は、それを飲むと一瞬の内に言葉がしゃべれなくなることであり、数分間で死に至ることです。
 冨山さん宅から亡くなった石橋さん宅までの距離は、両側に民家がある幅約四メートルの狭い一本道で、約一・三キロメートル。車で約三分(時速三〇キロメートル走行)のところです。冨山さんは、石橋さんが午後一一時四五分頃に退室したと証言しています。N子さん(石橋さんの妻)の証言によれば、石橋さんが帰宅したのは午前〇時二〇分頃であり、苦しみ出したのは、その二、三分後です。このことから、警察は逆算をして、石橋さんが冨山さん宅を退室した時刻を午前○時一五分頃と推定しています。
 退室時刻は何が問題かというと、冨山さんの主張する退室時刻ならば、カプセルの溶解時間は日本薬局方では一〇分以内と規定されているため、一一時四五分 + 一〇分=十一時五五分頃に、石橋さんは苦しみ出すことになり、警察の認定する犯行は成立しません。ところが、実際は〇時二二、三分頃に苦しみ出したのですから、冨山さんが飲ませていないことは確実であり、権利書の行方問題と関連して、石橋さんは権利書を預けるために立ち寄った先で飲まされたか、自宅に帰って自分で飲んだか、また飲まされたと考える方が合理的です。冨山さんの主張する一一時四五分頃という証言は、当初、冨山さんの奥さんも同じように述べていました。なお、カ.フセルの溶解時間の平均五分説は、弁護団や支援者が第二次再審の時の証拠として、東邦医大で実験した結果によるものです。

●無実・ポイント②
《権利書の行方》
 石橋さんは事件当日の夜、家と土地の権利書を持って八日市場市の金融業者のところに金策に出かけました。そして、途中どこにも寄らず、冨山さん宅に戻ってきて、その結果報告をすまし、冨山さんから借りた自動車で、途中、どこにも寄らずに帰宅したと認定されています。もし、それが正しいとすると、権利書は石橋さんの自宅か、車の中から発見されなければなりません。しかし、水戸地裁第二十四回公判のSさん(石橋さん宅の近隣在住者)の証言の中で、権利書が自宅になかったことが明らかにされています。さらに、この事実を確認するために、二〇〇一年十月、支援者は石橋さん宅を訪ね、N子さんに会い、直接、本人に尋ねたところ「なかったよ」とハッキリした返事を聞きました。
 この事実をつなぎ合わせると、石橋さんは冨山さん宅を車で出た後、警察の推論に基づく事実認定とは異なり、直接自宅には戻らず、何処かに立寄って権利書を預けてから帰宅していることが明らかになります。冨山さんが自宅で毒入りカプセルを飲ませたという事実認定が完全に崩壊します。

●無実・ポイント③
《動機がない!計画殺人は成り立たない!》
 一審の判決では、冨山さんには事件当時収入がなく経済的に困窮していたという事実認定を行い、殺人の動機を「経済的困窮度からくる保険金殺人」としました。しかし、当時の冨山さんは美容院を開業した際の借入金はありましたが、返済計画は堅実なものであり、美容院の経営も順調でした。また、冨山さんは事件の起こる直前に、京成成田駅近くの山林を京成電鉄(株)に売却する不動産の仲介にほぼ成功しており、高額の手数料が入る予定でした。
 事件が起こる約一ヶ月前に、T生命の保険外交員が契約成立の御礼品を届けに石橋さん宅を訪問していました。水戸地裁第十三回公判での、N子さんへの尋問で、石橋さん本人が承知の上で加入したことが明らかになっています。そのうえ、冨山さんは手続き段階で、「そんなにめんどうなら、契約はしない」と保険外交員に伝えていましたので、契約は成立していないと思い込んでいました。事件後の八月三十日に、保険証券が石橋さん宅に届いたことから、初めて契約が成立していたという事実を知ったということが第十五回公判で明らかになっています。このことは、保険金取得を目的とする計画殺人そのものが成立しないことを意味しています。

●無実・ポイント④
《物証がない、目撃証人もいない!》
 青酸化合物入りのカプセルを手渡したとされる場所は冨山さん宅の六畳問で、その時刻には二十歳の娘がすぐそばで寝ていました。さらに、襖一枚で隔てられた四畳半には内妻のーさんが目を覚ましていて、亡くなった石橋さんと冨山さんとの会話を布団の中で横になったままで聞いていました。また、石橋さんがカプセルを土間にある水道の水で飲み下したと認定しています。しかし、一審の裁判官は「青酸化合物の入手経路、その所持の事実、これを証すべき証人、これを与えたとの目撃者等のいずれもが不明であるが・・」としながら、冨山さんが青酸化合物入りのカプセルを作り、石橋さんに飲ませたのだと認定しています。
◆「波崎事件」の真実を知るための資料
   ・根本行雄著『司法殺人』          影書房
   ・足立 東著『状況証拠』       朝日新聞社
   ・木下信男著『裁判官の犯罪「冤罪」』  樹花舎
   ・団藤重光著『死刑廃止論』        有斐閣
   ・大塚公子著『57人の死刑囚』     角川書店

《無実の冨山常喜さんの死後再審開始にぜひ、あなたのカをお貸しください。》
【再審トピック!】
 1992年7月27日付毎日新聞紙上で元最高裁判事(波崎裁判の担当)団藤重光氏が《やはり本当は無実だったのかもしれない》と発言していたが、さらに、団藤氏は2008年2月29日付毎日新聞紙上でも《もし捜査範囲を広げていれば、被告と同じ条件の被疑者がいたかもしれない》、《自分が死刑宣告する立場になってはじめて主体的に考えることができた。自分は愚かだった。浅はかだった》と発言しています。
【事件と裁判の流れ】
1963年8月26日 石橋康雄さん波崎済生会病院で午前1時30頃に
            死亡
1963年10月23日 冨山常喜さんを私文書偽造容疑で別件逮捕
1963年11月9日 毒殺容疑で再逮捕
1963年11月30日 殺人・私文書偽造で起訴
1964年1月9日 第一審水戸地裁公判始まる
1966年12月24日 水戸地方裁判所土浦支部判決 死刑
 【第二審控訴理由】①アスピリンを所持していたことが即青酸化合物所持  
 していたとの事実認定は論理的飛躍 ②毒入りカプセルの存在は「証明」
 されていない ③N子証言を直ちに「毒殺」に結び付けるのは論理的飛躍
 ④土間で飲んだことは全く「証明」されていない ⑤毒殺計画は警察・検
  察の推断で「証明」されていない ⑥石橋康雄さんの被告方退出時刻12時
 15分は推論。
1973年7月6日  第二審東京高等裁判所判決 死刑
 〈最高裁への上告〉   ○すべての事実認定は証拠に基づかず、推断という情況証拠で
     ある点不合理
1976年4月1日 最高裁判所上告棄却 死刑確定
1980年4月9日 第一次再審請求
1984年1月25日 第一次再審棄却
1987年11月4日 第二次再審請求
1992年7月27日毎日新聞紙上で元最高裁判事(波崎事件の担当)
         ・死刑廃止論者、団藤重光氏「やはり本当は無実
           だったのかもしれない」と発言
1997年7月29日 第二次再審請求補充書提出
           ①カプセル剤はトリブラで(乗り物酔い防止薬)であ
           り、チタンを含まない ②溶解時間は平均5分。空腹
           時の康雄の溶解時間を10分~15分とした根拠がない
           ③致死量の青酸化合物を飲んだとしても、Nさんの証
           言どおり、康雄が長く発言したことは青酸中毒症状と
           一致しない ④保険金取得が動機なら、受取人2人に
           動機がある。その受取人の一方の証言のみを主要な証
           拠として被告を有罪とすることは不合理
2000年3月13日 第二次再審棄却
     3月17日 東京高等裁判所に異議申立書提出
2002年12月6日 東京拘置所長宛に恩赦請求提出
2003年2月7日  東京拘置所長宛に拘置所外病院搬送申請書提出
     3月16日 「無罪の死刑囚の獄死を許すな!波崎事件緊急報告集会」
     3月24日 保坂衆議院議員、佐竹弁護士、清水医師、篠原連絡会議代表が冨山さんと面会

     9月3日  東京拘置所で獄死(享年86)
     9月27日 「無実の冨山さんの獄死に抗議し、追悼する会」開催
     10月8日 東京拘置所長・中央更生保護審議会長宛抗議文発送
2008年 現在   死後再審請求準備中

■私たちはいま、再審開始のために次のような活動をしています。
  ●支援者会議(月1回) ●弁護団会議(隔月1回)  ●現地調査(随時) ●学習会(随時) ●ニュースレターの発行
■あなたも会員になつてください。 《年会費》3000円   会員の方には、ニュースレターをお送りします。
■現地調査・資料作成・再審準備のためのカンパをお願いします。
 《振込先》郵便振替 口座名  波崎事件対策連絡会議
              口座番号 00130-3-400650


《冤罪「波崎事件」の無実ポイント》
《波崎事件対策連絡会議》   代表/篠原道夫 042-473-9782
                  東京都東久留米市柳窪 1-10-37

《波崎事件の再審を考える会》 代表/大佛照子 029-831-9638
      茨城県かすみがうら市千代田町稲吉東駆占 4-14-2
             http://www.asahi-net.or.jp/~VT7N-YND
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