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測量図からの3次元データ化

銚子にはいくつかの中世城郭があるわけだけど、そのうちかろうじて中島城(海上城)だけが銚子市の史跡指定を受けている。
中島城は鎌倉時代から三崎庄(現在の銚子一帯)を治めていた海上氏(千葉氏系)の主城とされる、いつ頃成立したかは不明なれど、とにかく戦国時代の末期まで維持されていたお城です。
小田原の後北条氏が豊臣秀吉に滅ぼされたとき、後北条方として小田原城に篭城していた海上氏も諸共に滅び、下総方面の平定を行った徳川勢によって1590(天正18)年に落城させられたとかなんとか伝承されています。まぁ、実際は主がおらず、北条氏自体が滅びちゃったわけだから、攻め落とされたなんていうのはホントかどうかアヤシイんですけどね。真相はお城の地下に眠っているわけで、発掘調査をしないとわかりません。中島城は県内の中世城郭の中ではかなり整然とした構造を持ち、一部土砂の採取で破壊されましたが、遺存状態も相当良い方です。
銚子一帯を所領にしていたお殿様のお城があったくらいですから、少なくとも江戸時代以前は、中島城がある銚子西部が政治・経済・文化の中心地だったと考えて良いと思います。それを証明するように、この辺り一帯には古刹が多く、各種の指定を受けた仏像なども多く存在します。

んでもって中島城は、もうだいぶ前に県の文化財センターが実測調査をやったことがあって、以前、銚子市教育委員会からその図面をコピーさせてもらいました。2次元的な測量図は、それだけでもいろんな意味で重宝しますが、役所の中に眠らせておいたってあまり意味がありません。要は使い方を考えないと宝の持ち腐れなわけです。
「文化財を大切にしましょう」なんてことを住民に呼びかけるのは誰にだってできるわけで、文化財の保護・活用を任務とする教育委員会なら、本来、さらに踏み込んだ作業をしなきゃいけないんですよ。でも、余計な仕事を作らないのが役人の本分とでも思っているらしい銚子市教育員会にそんなことを期待しても無駄なんだよね。
だから僕は個人的にその図面を使って、勝手に3次元データ化しちゃおうと思ってます。
そう思った矢先に瑞鶴荘の問題が出てきちゃったんで、この2年間はほったらかしになっちゃいましたが、再度作業を進めようと思います。完成がいつになるかは皆目不明だけど…。

ソフトをしばらくいじってなかったんで、ちょっと慣らしに下のやつを作ってみました。後輩に頼んで測量図をコピーさせてもらった某所の古墳です。墳丘の長軸70メートルくらいだったかな?実際に自分で現場を歩いていないので、細かい部分は違うかも知れません。マッピングも自動生成させたやつだからまったく参考になりません。あくまでも「慣らし」です。
中島城の測量図はもっとずっと複雑なんで、出来上がったらかなり面白いものになると思いますね。
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Comment

小鷲直治さま 

コメントありがとうございます
いただいたコメントに簡単に返信させていただきます

僕としては道路の嵩上げは必要ない、と言うより不可能と思います
県も市も財源が無いからです
また、道路際の樹木については見直す必要があると思いますが、おそらく防砂林としての機能も果たしていると思われますので、移植するのは無理があるでしょう
君ヶ浜は、クルマに乗って景色を楽しんでいただくより、歩いてその良さを実感していただくのが良いと思います

あと、海岸線付近にショッピングセンター的なものも必要ないと思います
個人的には、海岸線から陸地側100m程度の範囲には基本的に家屋などない方が良いとさえ思っています
防災上の理由と、コンクリート護岸やテトラポッドなどで台無しにされてしまった自然海岸復元のためです

お考え全てを否定してしまいましたが、以上が僕の率直の感想です
  • posted by あきもと 
  • URL 
  • 2010.12/19 22:41分 
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画龍点睛を欠く観光名所 

観光地銚子で最も美しい場所は何処でしょう。海鹿島から白亜の犬吠埼灯台に至る「君ヶ浜」と呼ばれている浜辺が一番だと思う。晴れた日だけでなく、靄がかかた浜辺を素足で歩くのも格別で、幼かった頃に家族で歩いた時のことは夢のような思い出として私の記憶の中に永遠に残るでしょう。神父さんは、「浜辺の歌」は天国の歌だと言いましたが、私もそうだと思っています。「君ヶ浜」は天国の一地方だと断言したい。しかし、ここで非常に残念なことを書かなければなりません。モータリゼーションの発達したこの時代、先日、この君ヶ浜のドライブウエイを何度か往復したのですが、車からその浜辺がほとんど見えなかったのです。残念至極。
地図で見ればもちろんシーサイドドライブウエイのように見えるのでしょうが、現地をドライブしてみると、肝心の海も浜辺もほとんど見えないのです。その理由は、ドライブウエイの海側に雑木のような木が植えられていて、結局、木しか見えないのです。なんともったいないことか。では、観光地としての対策はどうすればいいのか。案①=現在のドライブウエイを3メートルほど高くして、その下を観光客向けの無料駐車場にする。案②=景色を遮っている木々を埋立地などに移植してしまって、いつでもドライバーが君ヶ浜の景色を楽しめるようにする。(全部移植するのではなく、樹間から海が見えるようにするのも一案)。案③=矢田部や旭に奪われしまった楽しいショッピングプレイスを、海鹿島辺りに設けて、遠くに住んでいる人でも美しい景色を見ながら買物ができるようにする。とにかく、行政当局は、衰退しつつある観光地銚子を是非ともなんとかしてほしい。あの美しい浜辺をドライブしなから絶景を満喫できるようになったなら、集客効果は確実に期待できると思う。私の友人は、銚子をケアンズやサンフランシスコのようにしたいと言っていたが、当局者にはそのような気概をもってほしい。

Re: 3次元写真測量 

> 写真から3次元測量するプログラムを作っています。
> 測量結果はCAD・CAM・CGに読み込めるDXF・IGES・STL・MQOやインターネットで公開できるVRMLに出力できます。
> よろしければご覧ください。
> http://www3.plala.or.jp/SolidFromPhoto
★情報ありがとうございます
ダウンロードさせていただきました
後日、適当な写真を使って試用させていただこうと思います
  • posted by あきもと 
  • URL 
  • 2009.07/28 13:20分 
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3次元写真測量 

写真から3次元測量するプログラムを作っています。
測量結果はCAD・CAM・CGに読み込めるDXF・IGES・STL・MQOやインターネットで公開できるVRMLに出力できます。
よろしければご覧ください。
http://www3.plala.or.jp/SolidFromPhoto

中島城 

多田さま

中島城の整備・復元、実現できると素敵ですね。あの城は、あれだけの規模を持ちながら千葉県内でも珍しく保存状態が良く、各地の城郭マニアの方々もたくさん訪れている場所です。
近隣には海上氏ゆかりの社寺等も多く、地域の中世史を学ぶ場として最適とも言えます。
そうした環境を利用して、船木小学校の保護者有志が子どもたちと一緒になって「船木小歴史探検隊」というのを開催しています。メンバーの一人には千葉県立中央博物館大利根分館の主席研究員・米谷博さんも加わっており、年に数回野外学習を実施しています。
ご興味ありましたら、船木小学校に問い合わせてみてはいかがでしょうか?
  • posted by あきもと 
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  • 2009.02/11 18:35分 
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中島城について 

直治さん、お久しぶり、私は岡野台町の武の妹です。実家の梅林に沿って高田川が流れ、銚子の上水道と引き換えに実家は水車を廃業になったのです。
私の先祖が米穀商を営み利根川より高田川を船で上り下りしていたようです。中島城の復元をしたいと念願しております。私は現在矢田部に住み、東京に通っています。一度お目にかかれましたらいいですね。

文化財としての槙 

小鷲さま
たびたびのコメント恐れ入ります。
銚子市内の槙の木で有名なものに、小船木の東光寺にある槙の群落があります。http://www.city.choshi.chiba.jp/edu/sg-guide/bunkaisan/bun_syousai/makinogunraku.html
ご実家の槙をどのように保存するか、ですが、即座の対応は難しいと思いますが、文化財として「登録」申請するというやり方もあります。建造物などの場合は税制面での優遇措置など、所有者に多少の利益となる仕組みも制度化されています。下のアドレス先はちょっと古いんで、建物のことしか記述されてませんが、現在は、いわゆる「天然記念物」もカバーされていますので、所有者にその意思があれば、まずは調査を依頼なさってはいかがでしょうか?
http://www.bunka.go.jp/1hogo/pdf/bunkazai_pamphlet_6.pdf
扱う部署は、銚子市教育委員会生涯学習課の文化班というところです。

犬吠埼灯台に関しては、銚子ブラントン会というところが保護活用について積極的です。映画『喜びも悲しみも幾年月』の上映会なども実施していたはずです。
しかし、奇遇ですね。モデルとなった方は、小生の父が子どものころ、ご近所だったと聞いています。

また何か、お気づきの点ありましたら、コメントよろしくお願いいたします。
  • posted by あきもと 
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  • 2008.09/16 01:35分 
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室町時代の中島城を偲んで 

中島城のことを書いていただいてとてもうれしいです。私は或る詩人研究書のプロローグに中島城と銚子市のことを書いて出版(URLご参照)しました。実は私の故郷は銚子市中島町で、家はいちばん高いところにあります。砦のような場所なので侍屋敷だったと考えられています。城は今私所有の畑地にあったわけですが、北条氏が敗れて後に取壊され、大規模に構築されているのでその全体像がつかめないほどの曲輪のみでしか往時を偲ぶことができませんが、侍屋敷だった私の家の庭には太い槇の木が立っていて、室町時代(1338年足利尊氏が京都の室町に幕府を開いてから、十五代義明が織田信長に追討された1573年までの約二百三十年間)からの木だと考えられています。槇は千葉県の県木ということですが、私はこの大木が大好きです。ところがです。この銚子市にとっては記念すべき文化的生き証人としてのこの槇がかなり傾いて倒れそうになってしまいました。太平洋戦争末期に当時の日本軍が米軍を迎撃すべく、槇の木の下から三方向に掘り特殊地下壕としたのですが、8月15日の敗戦と同時にその地下壕を放置したままいなくなってしまったからです。これは悲しむべきことです。この問題を解決すべく私は考えました。小泉政権期にこのような特殊地下壕は国と自治体の両者によって埋め戻すとの決定がされているのを知りましたので、私は銚子市役所に地下壕を埋め戻して槇が倒れないようにしてほしいと申請しているのですが、残念ながら否定的回答しかもらえていない状況です。銚子市立病院による財政悪化が理由のようですが、国が約束したことでありまた市の財政が永遠に赤字ということはないでしょう。何らかの前向きな回答があって然るべきだと思っております。母屋も倉庫棟も地下壕の被害に遭っているのですが、家の地下までも埋め戻してもらうのは我田引水になってしまうのでしょうか。不可能ならせめて、室町時代の中島城と往時の侍たちを偲ばせてくれるこの大木だけは救ってもらいたいものと切に願っております。これを読まれた方にはお知恵を拝借したいと思っておりますので、どうかよろしくお願いいたします。城跡がある畑を城址公園兼無料駐車場として提供し、その代わりに特殊地下壕を埋め戻していただくことも一考に価すると思います。(ついでながら、私の家から唐子町に嫁した娘の長男・田中績は灯台守になり手記として投稿したものが木下恵介監督に見出されて映画『喜びも悲しみも幾年月』となり一世を風靡しました。銚子市は観光都市でもあるので、犬吠崎灯台辺りにこの記念碑を建てれば観光客誘致に一役たてると思います。)

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